ネズミのメモ用紙

読書用の備忘録のために色々読んだ本の雑感を書いていく予定です

文章が書けない

 昔から長文を書くのが得意だった訳ではないが、最近特に文章が書けなくなっている気がする。「アレ、コレ、ソレ」とか単語が出てこないとか、物忘れに近い感覚ではなく、例えば「メールの書き出しがわからない」とか「報告書の結びが書けない」とか。文章の構成が作れないという感覚がある。
 思えば学生を卒業してから、まとまった文章を書く機会は減る一方な気がする。会社の慣例、というか部署の立ち位置によって半年に一度は報告書を書くけれど、それくらいのものしかない。しかもその報告書は機会が無ければ誰が真面目に読むでもないものだ。学生の身分なら単位のために何本か(質はさておき)少なくとも教授やら准教授が読むレポートを書いているはずだから、半分未満になっている。それで生活できているのだから何とかなっていると言えば何とかなっているのだろうけれど、なんとも言えない具合悪さというか歯にものが挟まったようなもどかしさがある。
 そうした気持ち悪さがあって、最近は日本語の書き方であったり文章の書き方の本や記事が目に留まるようになった。まだ読みかけのものばかりなので、読み終わったら別途感想なんかを書いていこうと思う。そうした過程で大きく気づいたことは文章の書き方にはいくつか種類があって、大きくは一文一文を綺麗に書くこと、その積み重ねによって綺麗なあるいは伝わりやすい文章を構築していくものと、文章全体に緩急とかリズムとかを考えることで、文章全体を美しいものにしていくものがあるということだ。そして最近良い文章は特に後者が大事なんじゃないかと思うようになった。
 一文一文の綺麗さと言うのは、基本的に改質できる部分が少ない。つまるところ、この積み重ねでできる文章は癖がなく報告書のように情報を伝えるのには向いている。こうした文章が書ければ優秀な生き方ができる、そういう技能なのだと思う。一方で、文章全体のリズムを作れると文章を書くことそのものに対して楽しさがあるように思う。少なくとも趣味や仕事として文章を書いている人の文章には当人なりのリズムの癖があって、それが評価されている。絵で言うところの画風とかに当たるものがあるのだろう。これが確立できれば、後はひたすら書いていくことができるのではないか、それが欲しいと今つと思っている。
 ただ、技能としてではなく癖としてあるそのリズムを体得するためには、ハウツーではない修練みたいなものが必要なのではないか。その修練には何が必要なのかということが、分からないので今後追記していこうと思う。今日はもう疲れたから竜頭蛇尾になってしまうけどここまで。……こんな半端な書き方しているから、書けるようにならない気もする。